−分かりあえない僕ら− 私のスパイラル論
ななしの
私がスパイラルライフの歌を聴いて一番思うことは“コミュニケーションの難しさ”である。 もっと平たく言えば、“分かりあえない僕ら”とでもいった感じだろうか。 世間の音楽界で「はれたほれた」な歌ばかりがメジャー・マイナーにかかわらず流通している現在、 スパイラルは「ラブソング」ではなかった数少ないバンドだった。 この意見には反論する方もいるだろう。 「スパイラルの曲は広い意味でラブソングなのよ!」とか。 ・・・私もそう思うが。(さっそく矛盾しててスミマセン) * “始まるか/終わらないのか/僕は” (ANOTHER DAY,ANOTHER NIGHT) しかし。その「ラブ」は他人には向かっていなかった。 それは1st『FURTHER ALONG』で特に顕著である。 あのアルバムではひたすら自分、自らに視線が向けられている。 “君”(という他人)に語りかけていることはそんなにない。 自我がはっきりしないから「自らを見つめること」でそれを確認している、 という自閉的な(内向的な)印象を受ける。 まず、自分を知らなければ他人を知ることはできない。 “自分”が分からない自分。 そして、 そんな“僕”が“君”とうまくコミュニケーションできない故の「悲しみ」が このアルバム、そしてスパイラルを表している。 * “鮮やかに光る七色の花を集めて/咲かせば君はきっと目覚めるはず” (20TH CENTURY FLIGHT) 2nd『SPIRAL MOVE』においてもそれは基本的に変わらない。 このアルバムには「20TH CENTURY FLIGHT」が収録されている。 この曲はスパイラルの曲の中で一番人気らしい。 人気の理由の一つに、この曲で初めて彼らが「他人に目を向けた」から、 ということがあると思う。 今までせいぜい“君”に語りかけることしかできなかった彼らが、 やっと(自分だけを見るのをやめて)他人である“君”のために、 光のスペクトルの花束を“飾る”という行動を起こすことができたのだ。 * 3rd『FLOURISH』の彼らはそれまでよりも視線を外側に向けている。 自分を見つめているような詞であったとしても、 それは「僕はこうだよ、君はどうする?」と呼びかけているような 言葉として存在していて、自閉的・内向的なものはあまり見られない。 それが以前のアルバムと大きく違うところである。 スパイラルは成長した。 しかし、コミュニケーションの難しさは相変わらず存在している。 その気持ちの総集編的な歌がある。 それが「CHEEKY」だ。 この歌で彼らははっきりとそれを歌った。 “オーダーメイドの僕の言葉は/いつも伝わらない” “言葉数少ない/僕はもうあきらめながら”(CHEEKY) と。 以前、車谷氏はインタビューで、この曲について 「スパイラルで初めて、ラブソングを書きました」というような事を語っていた。 この曲は“他人”という存在を意識して書かれている、 本当の意味での「ラブソング」であると言えるだろう。 1stアルバムにおける「自分だけの世界」では 他人とコミュニケーションできなくても、まだよかった。 この世界には「僕」しかいなくてちょっと寂しいだけだったから。 あの時悲しかったのは、「自分」というものがはっきりしていなかったからだ。 だから彼らは自己確認の旅に出た。 「CHEEKY」の悲しみは前のような悲しみとは違う。 長い旅の中で自分を確認し、「他人」の存在を知った。 ようやく「本当の世界」に目覚めた「僕」が、初めて“君”(=他人)を好きになった。 しかし、人には他人を完全に理解すること、分かりあうことは所詮不可能である。 人は誰ひとりとして同じ人間ではないからだ。 私たちは「オーダーメイド」の言葉しか持てない存在である。 誰にでも伝わる言葉などない。 この、自分が他人が「分かりあえないこと、それを悲しく思うこと」 がこの曲、ひいてはスパイラルの魅力である。 分かりあえないことは悲しくて、そして悲しいからこそ美しい。 でも。 それでも分かりあおう、理解しようとして 「ただのセリフじゃない」言葉を 「風立ちぬここから届けた」“僕”を、スパイラルを、私はとてもいとおしく思う。 * 結局、スパイラルは“音楽性の違い”という、 まさに「分かりあえない」理由で解散してしまった。 個性の違う人間が同じことをする、ということは本当に難しく、解散も仕方がない。 むしろ個性の異なるふたりがここまで続いたというのが奇跡だったというような気もする。 しかし、バンドが解散しても、その残した音楽は誰かが聴き続ける限り永遠である。 「分かりあえない悲しみ」を持つ人がそれを悲しく、 そして美しく感じる限りスパイラルライフの曲も美しく生き続けるのだろう。
1997/03第一稿 1997/12/24ちょっとだけ改稿 1998/10/28また少しだけ改稿 ※著者「ななしの」ですが、『FLOWER』への掲載当時は「海野ひびき」という名前で発表してました。 スパイラルtop ななしの部屋top